こんなタイトルの本を持っていたことを思い出し読み返しました。定年後であれ失業中であれ、自由時間をポジティブに過ごすのにとても良い本です。仕事に捉われず余暇をいかに過ごすかが人間にとって重要で仕事を人生の中心に置いてはつまらないよ、という主張をしています。
以前読んだときは忙しく働いていたときで仕事に疲れて休みたいと思っていましたが当然会社をやめたりはできず、書いてあることをあまり実行することはできませんでした。今は幸か不幸か休職しているので、できることは実行してのんびりと人生を楽しみたいと思っています。
これからやりたいと思っていることはこちら。
・読書
・音楽を聴く、演奏する
・写真を撮る
・文章を書く
・外国語の勉強をする
・コンピュータの知識を深める
・ボランティア
どれだけ実現できるかわかりませんが楽しく暮らすために楽しんで取り組みたいと思います。
ちょこちょことバーナード・ショーなどいろいろな人の言葉や格言(?)が載っていて面白いです。気に入ったのはこれらの言葉です。
文明の質を評価する最良の試験は、
余暇の質を見ることである。
遊んで暮らして損をする方が、
全然遊ばないよりもいい。
ージェームス・ターバー(アメリカの作家)
今の日本の余暇の質を見ると文明の質は最低です。そもそも余暇が取りにくい上、休みが取れてもとても短いため下手したら仕事より過密スケジュールで旅行したりと大変です。日本でも有給が義務化されましたがたった5日間ですし、今後も有給がさらに取りやすくなったりヨーロッパのように数週間のバカンスが取れるようになることはないでしょう。みんな7月8月にバカンスを取ったんだから夏は売上が下がって当たり前、とフランス人のように考えられる経営者は日本にはいないので無理でしょう。遊んで暮らして損しても遊ばないよりは全然いい、と思えるホモ・ルーデンスになりたいものです。
私は古代ギリシャ哲学が好きなのですが、古代ギリシャ人は労働を尊いものとは考えておらず自由に思索に耽ることのできる自由時間に重きを置いていました。アリストテレスは必要に迫られた支配された労働を善しとしませんでした。お腹が空いたから田畑を耕し食べ物を得る、つまり肉体の必要(空腹)に従い、苦痛を伴う肉体労働(農作業)を強いられるということはとても不自由なことだと考えていたようです。
唯一、ヘシオドスだけが労働の大変さを「やりがい」とときました。また「冨」を得られるし労働することで神々に愛されるとときました。確かに仕事でしか感じられない「やりがい」「充実感」というのはあるかもしれませんが、それは雇われた労働である必要はありません。いつの時代も仕事を人生の中心に置いて喜びとする人はいたのだなぁと妙に関心してしまいます。
賃金が支払われる仕事はすべて、精神を奪い、弱める
アリストテレスに共感する私は甘えと言われても過酷な労働に向いていないのかもしれません。